み(仮)

the best is the enemy of the good

『萌神』

 やっと十文字青の『萌神』を読み終わった。この作品は十文字が一迅社文庫から「第九高校」シリーズとして出しているものの一つで、『絶望同盟』に続く最新作である。その『絶望同盟』ではロリコンを描こうとした点が僕は気に入っていて、失敗している感じが否めないのだが、最後が唐突ではあるものの、ライトノヴェルの中では良作である。

 

 「第九高校」シリーズは、文字通り架空の第九高校を舞台としており、毎回地下鉄が登場することから、舞台が北海道だと推測できる。さらに十文字は北海道大学を出ている。また、毎度、小野塚那智という女性キャラが登場する。主人公や他の登場人物は一定しておらず、年齢設定も疎らである。このシリーズでは無気力な主人公が登場人物と交わることで少しずつ変わっていくのだが、僕はこの退廃した印象が好きで、初めて読んだのが『ヴァンパイアノイズム』だが、幼馴染が主人公の部屋に入って来てお互い気にせず好きなことをする。このあたりのくだりでシリーズものとして読む気になったのだが、『萌神』のあとがきで毎回新しいことをしようと思って書いていると述べている。たしかに小野塚那智と第九高校が舞台であること、それから主人公が無気力であること以外に一貫したテーマなどはない。いや、無気力であるというより、どちらかというと駄目な人間を描いている。

 

 しかし『萌神』ではあまり第九高校を出現させておらず、場所が図書館や森の中、別荘だったりといろいろ変化する。基本軸としては第九高校なのだが、最後の数十ページは現実世界ですらない。あまりこだわっていないのだろう。タイトルからして昨今話題の(今はそうでもないが)「萌え」を描こうとしているのだが、そのために今までのシリーズものではなかった仮想世界の生物も登場する。それがメインヒロインの猫上もえるだが、このもえるは主人公にしか見えない。ほかに三人の女性キャラクターが登場するが、もえるは彼女たちと主人公との恋を応援する。

 

 「恋」と言ったが、もえるが「萌え波」としてキャッチするのは、だいたい主人公の「恋心」とか「ときめき」みたいなものである。だから、この作品は「萌え」というものを描ききれてないのだが、「恋心」も「ときめき」もそれ以外に名状し難いという同じか。そこでもえるがこの「萌え波」をキャッチすると「萌超増幅」を発動させて、主人公の行動を大胆なものにしようとする。主人公は一貫して行動を抑制しょうと努め、どの女性とも恋に落ちることはない。最語にもえるを助けて一線を越えようとするところでこの作品は終わるのだが、萌神は従来奴隷的に扱われている上に、契約を結んだ人以外には視えない。だから完全に近い独占欲に繋がるのだが、捉えようによってはこれが「萌え」とも採れる。現実世界の女性との関係を発展させず、もえるのために愛を捧げようとするところも、これを示唆している。

 

 「萌え」を愛の変形と捉えても、愛は本来一対一の関係に落ち着かないものであるから、この結末は正しいといえる。しかも現実の女性との関係を発展させない以上、恋だとは言えない。だから、もえるが「萌え波」を「恋心」の現れのように捉えているのはやはり間違いであろう。作品の中に度々マンガやアニメが登場するが、これは他人にも視えるものである。その世界の中でなぜ人は「萌え」を感じるのか。そのところも描写が欠けており、残念ではあった。だが、全体的にまとまってはいる。