み(仮)

the best is the enemy of the good

H荘体験記(1)

 H荘は実在の居宅である。わざわざH荘としたのは、別にH荘の名誉を気遣って、ということではなく、名前が判りにくい方が面白いこともあろう、と思ったからである。

 大学に入り、独り暮らしを始める学生も多いかと思う。私は学生時代、ずっと実家生で、よく独り暮らしに憧れたものだが、実家とのしがらみや、金銭的な問題もあり、実現は諦めていた。転機があったのは今年三月。母がデイサービスを始めるということで、いきなり出て行けという話になった。出る際に、ゆくゆくは跡を継ぐか車の免許をもって仕事を手伝え、などと無茶なことを言い出すので、母に黙っての住居探しとなった。内心はらはらしたものの、独り暮らしのたのしみはここから始まるのだと今では思っている。
 しかし、家を引き渡すまで一ヶ月と少ししかない。いきなり家を探すと言ってもどうしていいかすらわからない。とりあえず周りに相談し、物件を探してみることにした。まずはサモンさんに話を伺ったが、K荘かH荘が安いというので、とりあえずK荘の大家さんに話をつけてもらい、実際に物件を案内してもらうことに。部屋は角部屋の六畳で二万円。S荘も案内されたが、こちらはK荘より広く、三万円だった。

 はじめての家探しということもあり、他の物件を探すのに手間取り、結局K荘に決めた時には三週間も連絡するのが遅れてしまった。そのこともあり、K荘に住むことは叶わなかった。どうにかならないかと少しごねたものの、学生でない人には今年から紹介できないということで、どうしても無理らしい。仕方なく、というわけでもないが、以前断っていたH荘に再度連絡をしたところ、快く引き受けてくれた。

 K区の物件は高いと思う。家賃は安くても三万円は超えるが、バイト暮らしで仕送りなしの私には少しキツい。家賃は一万五千円以下に抑えたい。その代わり、どれだけ狭くても、またどれだけボロくても構わない。風呂や炊事場は共同でも構わない。そんな私の意に沿う物件がH荘だった。いや、ここしか見つからなかったと言った方がいいかもしれない。不動産に数件当たってみたが、希望する家賃を言うと冷笑をかうのがオチだ。最後に当たった不動産に話を聞いたが、Y区にはまだ残っているというが、K区では安い物件は殆ど潰されてしまっていると言う。また、別の知人に聞くと北方には安い物件がまだ残っていると言う。その話には続きがある。O町でも地の人間が多いので、あまりヨソの人間が住まないと言うのだ。それで、今回は当たってみるのをやめたが、興味のある人は探してみるのもいいかもしれない。

 H荘は文字通りH町にある。O町の自動車学校の奥にある昔ながらの下宿で、築五十年ぐらいたっているという。現大家さんは二代目で、初老を迎えておられるが、内側から情熱のような熱を感じさせるお方である。私は大家さんの人柄というか、人当たりのよさにつられて入ったのかもしれない。同じように私が入る少し前に入居し、ちょうど入れ違いになって出て行った学生がいるらしいが、現在のところ、私が最年少のようで、あとは中年を越えておられるらしい。らしいと言ったのは、この葉山荘に入って一ト月、未だ住民の誰ともお会いしていないからだ。時々、家の前の駐輪場に自転車が停められていたり、いなかったりするから、人がほかにも住んでいるというのはたしかなようだ。
 私以外にも居住者が入ってほしいから、基本的な情報を少し紹介する。家賃は一万五千円で、水道代、光熱費が併せて四千円ぐらい。これは共益費のようなものだから、もちろん電気代などは電気を使えばその分、超過料金となるので注意が必要だが、そもそもエアコンも冷蔵庫もないこの家で電気を使うことなど少ないので、「使っても二千円ぐらいよ」と大家は言う。
 冷蔵庫、洗濯機、風呂、トイレの類はもちろん共同である。洗濯機は年間一万円支払わなければならないが、コインランドリーを頻繁に使わなければならないことを考えれば、お値打ちである。風呂は十九時半ごろから二三時ごろまで使用可能である。ソーラーで発電しているようで、夏には日中、熱い湯が出るが、春・秋・冬は上記の時間帯しか湯が出ないらしい。因みに、シャンプー、ボディソープ、タオルなどの洗面用具は、個人で用意しなければ、ない。脱衣所には電気が通っていないため、その場で髪を乾かすのにドライヤーは使えない。そして夜が更けていくにつれ湯温が低くなっていくので、冬は厳しそうである。日曜は休日である、いや、本当にそうなのだから恐れ入る。