み(仮)

the best is the enemy of the good

「すべてが狂ってる」

すべてが狂ってる
鈴木清順 / 1960年 / 日本(日活)/ 72分

#愛情, 家族, 金, 女

テーマ的には愛情と金の葛藤の中で男(女)を愛しうるかとか, 戦後の自由な生をどう生きるかとか, そういうものだったと思うが, 特に感動を受けるようなことはなかった。

主人公は次郎と言い, 男子高校生で, ある不良グループの一員として, 遊びまわっている。メンバーは高校生や大学生が中心となっており, 興味のあることと言えば金と女, それに酒である。あるとき, 次郎は母・昌代と金の面で普請してくれる男・南原圭吾との関係に怒りを覚え, 外に飛び出す。半ばヤケになった次郎は女友達である敏美と寝たり, 車を盗んで走ったりと不良行為を行うのだが, 追いかけてくる圭吾や, 敏美との関係に混乱していく。

金か愛情かという, 恋愛においてはテンプレーションのように繰り返される問題が, 次郎の葛藤を通して見えてくる。母である昌代が, 圭吾に他に女がいてもいい, 見捨てないでくれと懇願するところは胸中に堪えるものがある。やがては葛藤の中で, 次郎は女と金の結びつきを直感し, 「母親でも女だ」と言う女友達の言葉に自暴自棄になる。ここが山場で, あとは坂道を転がるように落ちていく。次郎は避けていた敏美と自動車を乗り回すようになり, 愛情よりも独りを避けるための存在として敏美を"愛する"ようになる。そして, 次郎はホテルで圭吾に怪我を負わせ, 敏美と再度逃走を謀る。圭吾は死なずに救急車に運ばれるが, 逃走した次郎たちはトラックに正面から突っ込み, 死んでしまうのである。

「いつかわかるときが来る」と圭吾が言うのも虚しく, 次郎は死んでしまう。圭吾の搬送先の病院では, 愛情のないアベックがいて, 女の流産に「自分のことは自分で」と冷淡にあしらう男に, 同僚が憤怒するシーンがあるなど, 時折そういった, 言わば愛のない関係に批判の目が向けられる。顕著なのは, 最終盤のバーのシーンで, 新聞記者が「現代では人々の間に善意が存在しない。”すべてが狂ってる”」とキザっぽく言うのに対し, おかみが「でも次郎ちゃんはいい子なのよ」と言うところで, 「善意」と「いい子」が意味を押さえているのだが, これなどは登場人物の人間関係を冷めたものだとする批判の意識の表れであろう。それよりも面白いのは, 「いい子」というあたりで, 圭吾も「いい子」とか「素直な子」だと次郎を形容しているのだが, 基本的には子供を良いものとする見方があらわれている。

借りるとき, パッケージの裏に「清順作品に吉永小百合が出るのは本作だけ」などと書いてあったのを見て, 不思議に思ったのだが, 清順の作品に吉永小百合というのは, あまりにもイメージとしてかけ離れているので, 想像がつかない。観てみたら, 次郎の友人の何とかという男の恋人として登場するほか, 家の前で犬を追いかける令嬢として登場するなど, 登場シーンは数カットしかないことがわかった。殆ど作品の内容に絡んでこないので, なぜ出演させたのだろうと思っていたら, 要は新人清純派女優である吉永小百合を出してくれという, 上からの命令であることが特典の映像から判った。当時, 吉永は新人であるはずだが, それでも待遇された扱いであると思う。

(3/15, C)