み(仮)

the best is the enemy of the good

「幸福」

幸福

アニエス・ヴァルダ / フランス / 1964年 / 80分



「5時から7時までのクレオ」, 「歌う女, 歌わない女」と続いて観たのがこの「幸福」というのもあって, 悪い出来だとの印象が否めない。愛に純粋な男が浮気をし, 妻の死後, 別の女と再婚するという単純な筋で, それでも観ていて飽きないのは流石にヴァルダと言ったところだが, 僕にはそこからはみ出るものが見つけられず, 映画が終わると呆然としてしまった。期待過剰だったせいもある。文字通り「幸福」を絵に描いたような家庭で, 誰が悪いわけでもないし, 最終的にはまた幸福な家庭が再現されるという暗黒な作品とみることもできる。結末近くで流れる「アダージョとフーガ」がいい味を出していて, その辺りは好きだ。パッと見, 「幸福」な家庭なのだけれど, それは一見したところそうなのであって, 音楽が映し出す雰囲気のように, 実際は何かが待ち受けていると暗示させる。悪い意味では, 一般的な因果応報譚とも捉えることも出来る。



因果応報と言えば, よく刑事モノなんかで, 同じように不倫した男を争って一方の女が殺されるというイメージがあるのだけれど, この作品だと女は殺されるのではなく, <死んでいる>。死因は溺死で, 一瞬だけ女が蔦のようなものに縋るけれども, 手から蔦が離れて落ちていくシーンが流れる。その前に, 男が浮気を白状し(男は嘘をつくことができないと言う), どちらも同じように愛しているが妻を以前と変わらず愛することを誓うシーンがある。それから, 夫婦は肉体的に愛し合い, 次に夢から覚めると妻がいなくなってしまう。落ちていく女は愛という自重に耐え切れず, 落ちていくようにも見えるが, 死因よりも男が女に頬を寄せるシーンが何度もリフレインされて, 興味深かったりする。男の愛が本物であることが伺えるのだが, 次に別の女のもとに会いに行った際には "二人とも同じように愛していたが, 妻が死んでしまったので…" と弁解めいたことを言うので, たんに愛が結婚により保証されていただけであるとも受け取れる。殊に女の死は, 道徳的な因果応報を想起させる。



では, この作品にとって, また愛にとって結婚はそれほど大事ではないのかというと, そういうわけでもない。あくまで男は結婚に固着する。最初の妻もそうだ。最後に妻となる第二の女だけは違うような気がする。でも結局は結婚する。これが今のフランスだったら結婚は大事ではないと言う人が大半なのかもしれない。以前, 何かのテレビ番組で, フランス人がそう言っていたのを, 多くの日本人コメンテーターが批判していた。ある日本人は「子供はどうするのか」と問題提起し, これにフランス人が「欧米には婚外子と呼ばれる子供が多くいる…」などと答え, 愚かにも日本人コメンテーターは(芸能人だったが), 「日本では考えられない」と憤怒していたように思う。



作品のタイトルは「幸福」だったはずだ。愛の基盤はどこかと言うのは最初から問題にならない。結婚が幸福の条件だろうかというのも相対的に考えられるから, 単純な答えとしては出せないし, 幸福に絞って作品を考えようとすればどうしてもこれが女の作品であると言われ, フェミニズム論の中に包摂されてしまう。実際, ヴァルダの作品をフェミニズムから理解しようとする傾向があるらしい。「5時から7時までのクレオ」を初めて福島先生の講義で観たときも, 女性の視点から作られた映画ということが言われていたし, 一緒に観た友人も同じ感想をもったみたいだった。だけど, 僕にはそれが全うに賛成できなかった。たしかに, そう言わせる何かがヴァルダの作品にはある。わかりやすいのは撮り方だろう。ヴァルダは小道具や特殊効果に細心の注意を払っていて, 「幸福」においても, たとえば森に出かける家族のシーンが神話の一場面を切り取った様であるとか, 場面展開の際の不吉な全面原色のみのカットとか, 男の監督ではあまり見られない撮り方がヴァルダの作品には見られる。



それが効果の著しいものであるかどうかはともかく, 凝った, と言うか, 繊細な撮り方をしているのはたしかなようだ。だけれども, この「幸福」にしてもそうなのだが, ヴァルダの作品が一様に女の視点から撮られた作品なのか, ということに関しては疑問に思っている。況してや, 解釈する側の勝手だろうけど, フェミニズム映画の草分けなどと言われると, ちょっと違うのではないかと。そう言うのは勝手なのだが, 何か違和感がある。



でもその前に, 僕がフェミニズムを想像するとき, 女が政治的・文化的文脈の中でどう捉えられるかを考える学問であるとはあまり思わず, むしろイデオロギー的な見方をしているということは述べておきたい。つまり, 女がどう生きるかを考える方法論である, という世間的な考え方に近いものを僕はもっている。フェミニズムにも色々あるだろうが, どうもこの印象が僕には強い。



その文脈において, 「歌う女, 歌わない女」にしてみれば, あの作品は女がどう生きるかを端的に, あるいは対照的に描いた作品と見ることができるから, フェミニズム的と言うことも出来るだろうが, それでも男に寄り添って生きることが女の幸せであるということを説いているのだから, これはフェミニズムなのかと。まあ, フェミニズムなんだろうけど。



たぶん捉え方に違和感があるだけなんじゃないかというのは何となくわかってきた。ヴァルダの視点が女の側から向けられているという点には, 僕は全く賛成している。それはしかし, 男の視点からみても幸福である。双方の生活を性の点から対等に描いて見せている。だから, ある意味で双方ともに救われる。ヴァルダが男に一福の信頼をもっていることがわかる。



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