み(仮)

the best is the enemy of the good

『フルスタリョフ、車を!』

フルスタリョフ、車を!
アレクセイ・ゲルマン, 1998, ロシア・フランス

1953年のスターリンの死の前後のソヴィエトを描いている。同じような映画はおそらく多くあるが, 私が観た作品の中では「動くな、死ね、甦れ!」がすぐに思い浮かぶ。混乱期のソヴィエト。人心はほとんど腐敗し, 動乱の中を逞しく生きるひとたちと, そこから抜けだそうとする少年たちをリアルに描いているものだ。

この作品は一種の乱痴気騒ぎであり, カーニヴァルの状態である。意味のあるものは殆どないが, 結局はその時代が意味のあるもののように描写されているのが不思議である。言葉の多くは我々では理解できないし, 不条理なものが蔓延っている。意味もなく嬲られ, 閉じ込められ, かまを掘られたりもする。だがロシヤ人(そしてタタール人たちも)幸福なのであるという。「知らされていない」ことが幸福の側面をなしていると見られるだろうが, それは違う。お互いの不幸を共有していないロシヤ人たちは, 互いのことを信用していない。したがって, 不条理な発言, 悪態, 意味のない言葉の羅列がみられるが, 誰も信用していない。知りはしないのだ。クレンスキーはユダヤ人であるが, スターリンの死を, おそらくは延命学の名医であり軍人であるがゆえに看取る。しかしスターリンは死に, クレンスキーは「捕まることも殺されることもない」。スターリンの死は知らされない。世界の半分は動揺するかもしれない。だがそのことでどうでも良くなったのもたしかだろう。

ソヴィエトはその後「自由」を手にするだろうか, というのも愚問である。自由を称揚したアメリカかぶれは意味もなく嬲られ, ハットを捨てられるのをみている。ロシヤ人たちはスターリンの死後も変わらず陽気に振る舞うが, それはスターリンがいてもいなくても自由がそこにあったからではないか。
(C+)