み(仮)

the best is the enemy of the good

ジブリ その他 雑感3

  「2」ではタイトルが違っていたが、「ジブリ その他 雑感2」となるところであった。他意はない。


 


 昨日「ゲド戦記」を観終えたが、前回観たときとは印象が違っていた。金曜ロードショーで観たのだが、T.V.用に編集されており、ちらほらと観たことのないシーンが。全体的に丁寧に作られている、という印象は抱いたのだが、やはりどこか素材を纏められていないなぁという印象だった。T.V.用に観たときのほうがその辺り編集されていて、観やすかったのかも知れない。

 


 以後感想を。


 


 はじめにアレンが父王を殺すシーンは意味が判らない。その後、アレンから「よくわからない」と供述する場面はまあ、殺人の心理なんてそんなものだろうとは思うのだが、話の作りからして当然なのだが、じゃあなぜ剣を奪ったかは説明が成されていなかった。それに父王を殺したあと、国へ帰って罪の償いをすると言っているのだが、どこか楽観的である。普通「国の民は僕を許してくれるだろうか」「あなたが償いをきちんとすればわかってくれるわ。後のことは、そのとき考えればいいじゃない」となるだろう。殺された父王に意味があったのか、疑いたくもなる。

 


 タイトルの「ゲド戦記」だが、ゲドとはハイタカの真の名なのだろう。作中でテナーがそう呼んでいたシーンが一箇所だけあったが、では「真の名」とは何なのか。その説明が成されないまま終わった。スタッフロールに原案として『シュナの旅』が挙げられていたので驚いたが、そこで明らかになっているのだろうか。だが、今作では「真の名」というものの正体が判然としなかった。

 


 全体的に説明不足の感が否めないのだが、ドラゴンが最後にやってくるのも唐突である。冒頭でドラゴン2体が共食いするシーンがあるが、ドラゴンが登場するのはそのシーンと、最後のシーンの二箇所のみである。テルーが光に輝く場面は何となく判るのだが、テルーがドラゴンと結びつく場面もかなり唐突である。

 


 根本的なテーマとしては「生と死の問題」なのだが、作中で繰り返し前触れとして述べられているものの、荒削りで印象として食い込んでこない。言わば、テーマを丸投げで寄越している感がある。また、「生きることを逃げている」と言われたアレンとクモの内、クモはドラゴンに殺されてしまうのだが、生きることに立ち向かっていける人間はよいとして、立ち向かうことができない人間に解決策はあるのか。「立ち向かっていけばいいじゃない」という回答は堂々巡りのような気がするし、クモの最後がドラゴンに「殺された」という点で悲惨である。自死という解答を与えられることなくクモは死んだ。まあ、クモの場合は死にたくないと言っていたのだから、ある程度はやむを得ないとしても、「殺されなければならなかったのか」という問いには答えられているのだろうか。

 


ゲド戦記」は僕からすれば荒削りの作品に思え、それなら「シュナの旅」として映画化した方がよかったのではないかと思う。宮崎吾朗の監督就任は些か早すぎたように思う。