み(仮)

the best is the enemy of the good

ジブリ その他 雑感4

  さて、「ハウルの動く城」である。これは初めT.V.で見たが、最後の方はあまり覚えていない。たぶん眠かったと思うのだが、あまり記憶に残っていない。

 


 前回「ゲド戦記」を観たあとだったので、どうしても作りの良さを対比して観てしまうのだが、こちらは落ち着いて観られた。「ゲド戦記」と比較すると、「ゲド」の場合は重いテーマをそのままぶつけてきているように思えたが、「ハウル」では冗談や笑いどころが見られ、アニメとして楽しめるように思う。「ゲド」では動作ひとつひとつに物語上の伏線が潜んでいるが、「ハウル」では一見して関係ないと思える行動が目立つ。たぶんこれが物語にゆとりを持たせているのだろう。

 


 戦争と魔法のある世界を描いており、魔法は認知されているが、嫌われている。魔法を扱う者、の表現にはおよそ3種のものが見られた。魔女、魔法使い、魔術師で、この順に多いように思う。魔女のほうがどちらかと言うと悪い意味に使われているように受け取られるが、ハウルの噂に「かわいい娘の心臓が食べられる」というものがあるので、どちらにしても魔法を扱う者が悪く思われている。これは「ゲド」に通じるものだ。

 


 ただし「ハウル」に於いては魔法を扱う者が絶滅に追いやられているのではなく、目立ってこそいないものの、結構な規模で存在していると思われる。主に登場するのはハウルと「荒野の魔女」の二人だが、ほかに戦争に従事する「三下」の魔法使いが多数存在し、その規模が窺われる。しかし、国に仕える魔法使いも存在しており、また魔法学校という機関が存在することからも、近代社会と迎合しない存在という風には描かれていない。国に仕えるサリバンという魔法使いを筆頭に、戦争に従事する魔法使いが多数存在していることからも、近代社会に迎合する者の存在が描かれる。どちらかというとハウルや「荒野の魔女」の方が街を離れて存在しているがゆえに悪い噂が立ち、嫌われている、といったところだろうか。サリバンが戦争を指揮しているといった風情だが、位はそう高くなく、年齢差のわりに軽く話しかけられている。

 


 そのサリバンだが、ハウルのことを「みんなのために力を使わず、悪魔に心を売っている」としてソフィーに注言するシーンがあるが、「ハウル」ではこの「みんなのために力を使うかどうか」といったことが一つのテーマとなっていると取れる。そこで魔法と戦争の世界が描かれることになるのだが、ハウルは初め自分を臆病者だと自負し、戦争にも「荒地の魔女」にも対峙しない。あとで「愛するもののために」ということで「荒地の魔女」(ただし、サリバンによって弱体化させられているが)と対面し、戦争の被害からソフィーたちを護る。ただ戦争を描いてはいるが、あまり悲観的・重厚に捉えてはおらず、あくまで力の使い方を教える教訓として(あるいは作品を盛り上げるモチーフとして)あるように思う。だから最後の最後であっさり戦争が終わり、「ハッピーエンドってわけね」とサリバンが言うのだが、僕はもう少し戦争の終わり方を描いてもよかったのではないかと思う。最後は性急すぎて、感動も薄れてしまった。

 


 あとひとつは「美と不美」の問題で、ソフィーが自分は「美しくない」と思っており、「荒地の魔女」に呪いをかけられて醜い婆さんの姿に変えられる。実際はソフィーは地味なだけであって、「不美」だとは思わないのだが、声はいわゆる「かわいい」声ではなく、老成したそれである。ただ声についてソフィーが言及する場面は一度もなく、「美しくない」の一点張りなのだが、どこが「美しくない」のかは言わない。一点、ハウルが「その帽子かぶるの?せっかく服を魔法できれいにしてあげたのに」と言う場面があり、たぶんソフィーは内面と外見が地味であることを言っているのだとは思う。呪いをかけられる以前は帽子屋を継いでいるから、仕事に対する自負と、自分への卑下から帽子を被っているのだろうが、外見はそれほどでもない。

 


 しかし老婆になった後のソフィーはショッキングなほどに「醜」で、にもかかわらずソフィーは人前で老婆を演じてみせる逞しさをもっている。これは素直に凄いと思ったが、その前に寝込んでおり、鏡を頻りに見ていたから、落ち込んではいたようだ。自分が「不美」であると感じてはいたが、「醜」であるとは思っていないらしい。示唆に富んでいるのだが、ソフィーは自分のことを醜いとは言っておらず、若い姿に作中度々戻るが、そこでも「美しくない」と言っている。ハウルに「そんなことない。ソフィーは十分美しいよ」と言われるが、実際に彼女は美しく描かれている。最後に婆さんの時の髪のままで若い姿に戻るが、ハウルに美しいと言われる。これと対比して、「ゲド」ではテルーが顔に火傷を負っており、服装も地味で誰か忘れたが「顔はこんなだが」と言われ、慰みものされそうになる。この点をもっと追求すると「ゲド」も面白くなったのだろうが、顔への追求はそれだけである。

 


 ハウルも自分が「美しくないと生きていけない」と言っており、怪物の姿をハウルと認められるかどうかが問題にもなるので、「ハウル」では「美」と「不美」が重要なテーマの一つになっていると言っても過言ではあるまい。あとは家族を描いても見せたが、言及としてはそれほど多くなく、描くならばソフィーの家族をもっと掘り下げて描くべきだっただろう。ジブリ作品でここまで露骨に描いた作品は思い出せないので、僕はこの点ではかなり評価している。「もののけ姫」はどうかという意見もあるだろうが、「もののけ姫」ではサンが明ら様に野生児として描かれるが、どちらかというと故意に美しく描かれているので、対象には当たらないと思っている。