み(仮)

the best is the enemy of the good

ジブリ その他 雑感6


  「耳をすませば」は観たが、ほかの「となりの山田君」と「猫の恩返し」は借りたディスクに傷があるらしく、観られなかった。以前「風の谷のナウシカ」と「崖の上のポニョ」を借りたときも観られなかった。そのレンタルヴィデオショップに返す際に指摘をしたらレンタルの無料券を渡そうとしたことはこの前書いた気がするが、その前に点検をしっかりしてほしい。あとは「紅の豚」を置いてほしい。「ゲド戦記」や「崖の上のポニョ」は10本近くあるのに、他の作品が少ない。ヴィデオもあるが、ヴィデオデッキは持っていない。


 「耳をすませば」と「猫の恩返し」を比較してみようとも思ったのだが、出来なかった。同じ比較ならジャンルが似通っている「海がきこえる」と比較したほうがいいのかもしれない。たしかに鈴木敏夫が言うように、「耳をすませば」は「海がきこえる」を少し意識して作っているような気がする。まず都会(舞台が東京みたいなので、たぶん東京だろう)の夜景と海、電車などの風景が描写されるが、どれも「海がきこえる」に登場するシーンである。それにやはり恋愛をモチーフとしているから、出会いと別れが描かれている点でも同じである。ただし、結末は全然ちがう。


 鈴木は宮崎駿たち初期メンバーが「かくあるべき」ことを描くのに対して、「海がきこえる」を制作した若手メンバーたちが「かくある」ことしか描かなかったと作品のスタンスとも言うべきものの違いを指摘したが、なるほど「耳をすませば」はよく言うと理想的に描かれている。原作を読んでいないので正しいという自信がまったくないのだが、アニメだけを比較してみると「耳をすませば」のほうは主人公の月島雫と天沢聖二が本の貸し出しカードを見て偶然に互いのことを知り、そして偶然に(雫の場合だけみれば)出会い、恋愛関係を発展させていくのだが、やはり出来すぎている。一方の「海がきこえる」の方は武藤里伽子が高知の高校に転校してくることから松野豊が知り、松野を通して主人公の杜崎拓が紹介される。松野は武藤里伽子に恋心を寄せるから杜崎にもその話が伝わって互いの関係というものが生まれるわけだが、まあ武藤里伽子が杜崎にお金を貸してほしいと頼むシーンは有り得ないとしても、一応の出会い方としてはより有り得そうな話ではある。


 「耳をすませば」で聖二がヴァイオリン職人になりたいと雫に言ってイタリヤに修行に行くのも出来すぎと言えばそうだが、アニメだから当然だと割り切ってもやはりこれには普通の恋愛とは受け取れないものがある。まあ、恋愛を扱った作品なんて大概そのようなもので、これが現実的な恋愛であればあるほど読者や視聴者は萎えるものだろうから、理想的に作るか現実にありそうなものを少し脚色するしかないのだろう。もしこれが受け入れられなければ実際に恋愛関係を構築していくしかなく、だとしても恋愛出来ない僕たちには少し辛いものがある。見方を変えれば恋愛が出来ないからアニメなどの理想的な恋愛を扱った作品が受け入れられたのだろうから、そう考えると「耳をすませば」にファンが多いのも肯ける。ここまで否定的に書いてきたつもりだが、かく言う僕もこの作品を感心しながら観た。ひょっとしたらこの作品がジブリ作品の中では一番好きな作品かもしれないのだが、それは僕が恋愛下手であることと雫のように衝動があって小説を書いたこと、それから恋愛文学と呼べるものがそのような「理想態」を許容でき、ひずみが少ないからだろうと思う。


(参考)
耳をすませばWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0
海がきこえるWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%8C%E3%81%8D%E3%81%93%E3%81%88%E3%82%8B