み(仮)

the best is the enemy of the good

アニソンアカデミー 第二回放送

初回は録音が失敗したので聴けず。二回目からの「アニソンアカデミー」となった。

以下, 感想。

「アニソンアカデミー」は「今日は一日アニソン三昧」からの後継と言われている。たしかに. そう言われるように「アニソン三昧」の持っていた軽いノリやリスナーが参加しやすい雰囲気は従前のものであり, 連続していることがわかる。正統な後継番組との性格が強い。

中川翔子, あべあきらを起用していることにアニソンを年代を超越したものと位置付けようとする狙いを伺うことが出来る。, また今回のゲストであるKalafinaや前回の水樹一郎のように, 比較的若いリスナーの認知するゲストを招くことで, アニソンファンと言うよりもむしろオタクの好む傾向を作り出しているとも感じられる。

このことはオタクの内向的な性格に合った番組構成であることを感じさせる。

番組はアニソンをアニメ, あるいはゲストと観客に結びつけようとさせる。だが, そこにはアニソンを内的文化として規定する動きはあっても, 音楽として総合的に見る視点を欠落させている。これは故意によるものではないが, 次第にその性格を強めていくのではないかと考えられる。プレ企画である「アニソンアカデミー前夜祭」であべあきらが, ジャングル大帝の音楽に冨田勲が関わっていたことを述べたとき, 中川翔子が無関心であった(あるいは知らなかったのではないかとも考えられる)ことにも, その志向性や番組の性格が暗示的に表されているかのようである。

今回のゲストに対しても, アニソンとの出会い, 人生を変えるきっかけとなったアニソンを紹介させることで, アニソンを人に対して結びつけようとしているのが判った。また, アニメについても中川翔子の独特な「語り」を通してアニソンとアニメが結び付けられ, あるいは過度にオタク的であるNHKアナウンサーにオタク的な発言をさせることで, アニソンとアニメ, そして人とが結び付けられていく。

僕はこのような内向的な文化に浸ってきたから, その楽しさはよくわかるし, 番組にアニメというカテゴリーを取り入れることで, NHKという公的ラジオ番組の変化がみられることも喜ばしいことだと思っている。だが, アニメと(あるいはアニソン)いう文化の内部で再生産を続けるとき, いつかそこに文化の終焉が訪れるはずである。この番組を聴いていく中で感じた楽しさとは別に, 別の寂しさも感じられる。それは僕が外に一歩踏み出して文化を見つめる契機をもったからであるとも思う。

こういう楽しみ方も出来るのではないかと知の領域を押し広げてほしいと思う。定石とも言える水木一郎やアニソンのアーティストをゲストで呼んでもいっこうに構わないが, 別の視点からのアニソンも提起してはどうか。中川が興味を示さなかった, 初音ミクをオーケストラに起用した冨田勲をはじめとする「アニメ」に関心のある現代音楽家をゲストに呼んでも面白いと思うし, ほかの音楽関係者がアニソンを批評的に見つめてみるという企画も面白い。

こう言えば, ゲストは何もアニメや音楽関係者に限らないのではないかと気づく。全く関係のない芸能人を宣伝させるためにテレビ番組に登場させる愚かさをラジオで再体験する必要はないが, アニソンを全く知らないゲストにアニソンを聞いてもらい, 感想を言ってもらうのも手ではないか。

80年代的な知の遊戯からサブカルチャーをエセ評論として切り取ったように, アニソンをその領域に押し進めよとは思わない。さらに, 宮本先生を初めとする正統的(?)学問として, アニソンを学問的に捉えたラジオ番組を作っていくべきだとも思わない。この番組を通して僕があらためて気づかされたのは, ラジオは所詮, 大衆の娯楽であるということだ。だが, NHKというラジオ曲はほんらいそういうものであるから, それはむしろ当然の結果だ。

ではその大衆文化を担う文化の新たな担い手は誰か。新たなクリエイターに向けて, 文化は再送信されるべきであると僕は信じる。何でも妖怪にしてしまえばいいではないかと歌う80年代的な価値観が現在でも続いているのなら, その価値観を見つめ直すことも現代の価値観をもつ僕たちの仕事ではないだろうか。