み(仮)

the best is the enemy of the good

2013-05-11

■今日も大学へ。銀行ATMで貯金を下ろしに。行くまでの途中, 文学部資料室前に新しい本棚が設置されたとの情宣ビラが貼られていたのを見る。行くと, 特に変わった様子はない。しまった, 資料室の中か! と失望しかけて, もう一度見回すと少し離れたところに机が置いてあり, その上に本が何冊か置かれているのを目にする。主催は文学部系の学生団体。Facebookも利用しているらしいので見ると, あまり更新はされていないものの, 情報の相互伝達が容易なように工夫された跡が見られる。この学生団体を僕は前に批判したことがあって, あまり評価していなかったのだが, これは新しい試みで評価する。要は読んだ本をその場に置いて無償で贈与交換をするシステムで, シンプルではあるがなかなか考えられている。いや, シンプルであるがゆえに利用しやすい環境となっている, と言えばいいだろうか。何冊か文庫や新書が置いてあったが, その中からサガンの小説を新潮文庫で3冊拝借させていただいた。『すばらしい雲』, 『冷たい水の中の小さな太陽』, 『一年ののち』である。贈与交換のシステムに相応しく, 僕の関わるムラの中で紹介したら, ある人に興味をもってもらった。今後も何冊か増えることを願う。

■ブルガリアのババ・ヴァンガという人が終末を予言したという記事が九州スポーツに載っていたのを, 知人が別の知人宅へ持ってきていて読ませてもらった。受け取った側の知人は僕に概略を伝え, 少し興奮した様子で熱心に否定していた。その話しぶりからして何かの新興宗教のように思われたのだけれど, 後でざっと目を通してみると違う。ある種の宗教のように信者がいるわけでも, 教典があるわけでも, 信条があるわけでもない。キリスト教の影響が強いところでわりと見られるような, ふつうの予言だった。知人の熱心さが変じて宗教を無思慮にバカにしたような言い方になり, それが少し頭に来て「宗教は歴史を作ってなんぼ」と言ったのがいまとなっては恥ずかしい。それが真っ当な(?)宗教なら歴史を創造することはよくあることで, キリスト教の終末思想はもちろん, 仏教には正法・像法・末法が, イスラーム教にも, ほかの宗教にも独自の歴史観がある。歴史観と言ったが, マルクス主義歴史学もある種の歴史観を提出している。共産主義はひとつの宗教のようだったと, 現在省みられることがあるが, 枝葉にも類似する点があるのであながち暴言であるとは言えない。
 それはいい。肝心の記事はどうか。彼女の"教え"はその後三千年にわたって予言したもので, 地球の自然災害から核汚染, 地球滅亡, 宇宙人の救いを得て宇宙時代へ。その「想像」の域は実に壮大である。もちろん, 想像することは勝手であるが, それらは無根拠で, 起こりうる可能性からは遠く離れている。何年後かには核汚染による死者が大勢出るだろうと妙にもっともめいたことが書かれてあるが, それも無根拠である点が同じであることからして, まったくの「想像」で皮肉にも創造にはならない。
 一端の良識人なら笑って済ますところであるが, 知人は熱心に批判した。僕にはこれが不思議だった。予言者=ババ・ヴァンガは第一次世界大戦前に生まれ, 二次の大戦後, 十数年してなくなっている。盲目の預言者として神聖さが付与されてはいるが, そこがブルガリアであることを考えれば, まだ民衆宗教的な影響が残っていると考えても不思議ではない。僕は以前読んだ『呪われたナターシャ』という本を思い出した。この本は現代ロシヤにも宗教的な影響が色濃く残っており, ある地方の人々が呪術をいまだに信仰していることを書いたルポルタージュだ。筆者はそれが共産主義が宗教を抑圧した結果, 現代では抑圧された信仰心が高ぶって過去の呪術が信じられるようになったとしているが, 同じ共産圏であるブルガリアで, 数十年前に起こった予言をひとつの線として考えるとなかなか面白いことに思える。キリスト教の深度を考えさせられもするが, 共産主義の影響を受けた日本で, こうも宗教に無知な人がいるのも考えものだと, 業深く思ったものだった。


■少し前にアニメの新番組が始まり, 友人・知人からはちょくちょく勧められてもいる。だが, 残念ながら食わず嫌いな性格なので新番組をリアルタイムで観ることはあまりない。リアルタイム以外だと早くて2, 3ヶ月。長いと数年後に見ることもざらだ。最近観ているのは新番組ではなくて, 「仮面ライダーカブト」 , 「仮面ライダーBLACK RX」, 「ちゅうかなぱいぱい」, 「恐竜戦隊ジュウレンジャー」あたりをニコニコ動画を通じて観ている。
 昨日はジュウレンジャーを観た。何でも食べてしまう怪人と戦う話だったが, 珍しく合体しなかった。その代わり親子が食を通じて家族の絆を深めるといった, 今では当たり前のように言われていることが話の中心になっていた。それはいいのだが, 「家族で旅行に行くなどの時間が取れないから, 食べるときだけは一緒に」と父親が言うシーンがあって, 当時の慌ただしさを表現しているようで面白いと感じた。