み(仮)

the best is the enemy of the good

2013-05-19

島由紀夫の『近代能楽集』を読んだ。はじめに少し読んで, しばらく読んでなかったが, ふと思い出して読み始めた。三島由紀夫と言えば小説や評論風のエッセイが有名だが, これは能狂言を翻案した戯曲集である。読んだ感想だが,男女の関係が幾分ロマンティックに書かれていると感じた。 随所のひねくれた人間観察などはどれを読んでもなかなか面白いのだが, どれも今ひとつ腑に落ちるところがないのは, こういった男女関係が実際にはありえないものだというのが明白だからだろう。三島の作品はどれもそういったところがあって, 好き嫌いの分かれるところだろうが, 『近代能楽集』にはほかの三島の作品よりもさらにドライに徹したところがあって, 読みやすくなっていると感じた。
 また能狂言の翻案という特徴から, どうも「よくできた」感じが全部を通してあるのだが, これは仕方ないとしても, そのために読んでも物足りないものがあったりする。「葵上」などはサスペンスらしい出来だし,「綾の鼓」なんかも三島的な斜に構えたような若者の態度がよく出ているのだが, 特に面白いというわけでもない。その点, 故意にベタな設定ながらも読んで面白いのは「卒塔婆小町」と「熊野」である。 「卒塔婆小町」では時間を超越しながらも日本的な中世の世界観と反日本的な近代の世界観を往来し ラストでは中世的なものへ, 女性美を伴って描いており, 三島の晩年を考えると根底に共通したものを感じる。「熊野」はラストが素晴らしく, ユヤという女が日本人形的な存在から悪女に化けるところが, 物語としても面白くまとまっている。

■"ルゲッチュ3"のDr.トモウキ戦でロボットを操縦して戦うことになるのだが, 主人公のサトルとサヤカが「ずるい, こんなの勝てるわけない」と言うシーンがある。

 僕が今見ている戦隊モノもそうだが, 子供向けコンテンツの正義には絶対的な安心感があって, 子供だから見ていてハラハラするのだろうが, 基本的には悪と正義の間で振子が揺れることはない。それが崩れるのが大人向けに作られたゲームや深夜アニメなどで, ガンダムなどは正義の前提が崩壊することで, 正義か悪かの問題が提起されるかのような感覚になってしまうことがある。逆のベクトルとして"アルティメットガール"は正義としての安心感を確保したうえで, 下ネタやパロディを取り入れて笑いに転化してしまう。

 サルゲッチュも初代であればサルを捕獲する娯楽的な要素を含みつつ, 見世物にする人間の倫理も問うていたのだが, 3になるといっそうコミカルになり, "アルティメットガール"的なものへと正義が変質しているのがよくわかる。同じパロディでも初代ではサルのコメントなどに質の良いものが見られたが, 3ではネタ切れとともにキレの良さがなくなっている。その果てが怒りをもたないスペクターであり, 勝てるわけがないと言った後に突如降ってくるロボットである。これらはいずれもギャグである。