み(仮)

the best is the enemy of the good

猫を轢く

猫を轢いた。夕方から夜になろうという時間帯だった。猫は, 左車線を中速で走る私の自転車を, 見くびるかのように颯爽と横切った。彼も左側の歩道から, つまり私のすぐ真横から唐突に躍り出た。猫は黒い色をしていた。夜に黒い猫を轢いたら更に後味が悪くなるが, 怪我の功名というやつで, 前輪が猫の横腹をたしかに「轢いた」という感触はあったものの, 私を一瞥したのち, 斜向かいの民家へと逃げ出していった。周りに車がいなかったのが, 私にとっても彼にとっても, せめてもの救いだった。動物は自らの弱い部分をさらけ出すことが少ないと言うから, その猫が本当は深手を負っていたとしても私が知ることはない。しかし, 幸いなことに道路は血だまりに満たされておらず, いちおう私は殺人者ならぬ殺猫者にならずに済んだ。ついでにMILLETのバックパックを背負っていたのと, 高校で級友たちにはぶられて受身ばかりしていたおかげで, バックパックを背負って横に一回転, 流れに任せてもう一回転しただけで, さしたる怪我は負わずに済んだ。バックパックも無事だった。怪我の功名と言ったが, 上手くもなんともない。さらについでに, 擦り傷を治すために絆創膏を最後の千円札で買ったのだが, これも明日が給料日でよかった。もしこれが, 月の始めとか中頃だったりしたら, 痛い出費だったに違いない。うまくもなんともない。こう話していてもイタいだけだ。

以上, 小説の冒頭を以ってして, 小説を終える。文才は相変わらずない。

とりあえず猫が無事でよかったのと, 自転車のライトをいいかげん買い換えようと思った。反省しきりである。謝って済む問題ではないが, 猫よ, すまぬ。

andそのままバイトに行き, 居合わせた知人と話をしたが, 話しながら, ここまで街中に猫が多いのは, やはり愛猫精神と言うか, 動物を可愛いとか好きだという気持ちだけで飼う輩が多いせいなのではないか, と思った。話をした二人は, やはりこの気持ちが強いために, 動物を飼うのに賛成で, 私はこれに対して反対の気持ちが強い。あくまで基本的に…であって, 断固として反対しているわけではない。
ただ, その覚悟が伴わなければ飼ってはならない, と思うのである。

動物の死を受け入れられず, 以後, 動物を飼おうという気持ちにならない人間は, 原則的に動物を飼ってはならない。死を受け入れられない人間は, 自ら動物を遺棄してしまう。知人の父親が動物を飼うことに反対だとするのを, 私はこう諭した。知人は不承のようだったが, 別の知人は「でも生と死を動物から学ぶことは大切だと思う」と言った。たしかにその通りなのだが, それは別にペットでなくとも構わないのではないか。と言うか, 人間を通してそのことが得られないのでは, それはまた別の問題でもある。人が死を理解するのに死ぬべきものがペットである必要はない。言い換えれば, ペットを飼うことは死を理解するための十分条件ではない。

どうもこの辺りのことがうまく伝わっていないみたいで, もどかしいのだが, 要するに, 私は覚悟をもたずに動物を飼ってはならないと主張する。だから, 家族が反対しているからとか, アパートがペット禁止だから, というのは動物を飼えないとする言い訳にはならない。本気で動物を飼う覚悟があるのであれば, 家族を説得し, アパートすら変える覚悟がなければならない。この辺りのことは, 月下虫音のDJ, 太田こぞうさんの意見に全面的に拠っている。

動物を飼わない私たちも, 動物の死から完全に自由ではないことを, 今日, 私は思い知った。特に, 自転車には強力なライトを搭載し, 前方だけでなく下方にも常に存在をアピールしなければならないということがわかっただけでも, 今回の怪我は本当に功名であったと思える。うまくはない。あくまでフツーのことだ。

&日記, 猫, 死, ペット, 自転車

追記:

そもそも私がペットを飼うことに基本的に反対しているのには, ペットが食べられない動物であることにも一因している。ペットが現実的に食べられるかどうかはさておき, 食のタブーが日本で実際にある以上, 日本人はペットを食べようとしない。人ではなく, 動物の死を理解するならば, 動物を食べることでその死を理解する方法もあるはずだし, 現実にそうする文化が世界的には多いのに, なぜかペット文化のある地域ではペットとなる種の動物を食べることに対するタブーがある。これがある種の文化差別につながる性質のものであることは, 言うまでもない。自らのペット文化の特徴を, 他国の食ペット文化をもって知ることが(普通は)出来ないからである。



厄介なことに, この種のタブーは動物を飼わない人にも広く膾炙しているので, 飼わない人の多くや動物を軽く扱う自称○○好き(○○にはペット名が当てはまる)は動物の死を本質的に理解することが出来ないでいる。だからと言って, ペットを食べること自体を推奨しているわけではない。ペットが食べられない理由はいくつかあるだろうし, その幾つかは合理的な理由ですらあるだろう※※。しかし, その理由すらもわからず, 動物の死の意味すらわからないのでは, 今後も無用な死を招くだけだと思われる。すべての動物の犠牲によって人は辛うじて生きているということに, そろそろ気付いた方がいい。(2013/01/30, 22:53)



※どこかは忘れてしまったが, 食人によって人の死を追悼する文化ですら, 実際に存在した

※※たとえば, 動物をむやみに食べるものではないという暗示であったり, あえて動物を人生の伴侶とすることで, 人と接することだけでは得られない視点を得ることが出来る, とする理由など