み(仮)

the best is the enemy of the good

最近は休み中に借りていた映画をまとめて観る, というのが日常になりつつあって, 休みの日に暗い映画を3本まとめてみる自分は何だろうと思った(こなみ)。


11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち

監督:若松孝二 / 2011年 / 日本 / 119min

ピュアな三島由紀夫が出ていると思ったら, 東大の学生と論争する辺りから, 少しずつ歯止めが効かなくなってきて, 「残っているのは意地だ」とか言う始末。銃を捨て刀に拘り, ずっと前に自衛隊の偉い方から「自衛隊は役人だからクーデターは起こせない」云々と言われていたのに, あくまで自衛隊に拘ろうとし, 失望して自刃する。ラストに三島の細君が「(死んだ夫を部屋に残して外に出た後で)それで何が残ったの?」には露骨に否定的なメッセージが出ているのだが, 三島よ, 言われるようにピュアすぎるだろ。 あれだけ頭の良い三島があんなバカなことをする筈がない, と言ったのは浅田彰(『天使が通る』)だが, 本当にどんな意図があって決起したのかは知らない。映画を観る限りでは戦後教養主義を捨て, 精神, 男性主義, 直線主義のようなものに走ったような描かれ方をしているが, それさえも本意であったのか, 僕にはよく分からない。と言うか, 知らない。いつか楯の会について調べてみたい気に駆られながら, 三島事件以後, 民族主義者なるものがまだ日本に存在することに改めて驚きを感じつつ‥。精神の一本主義には右もあれば左もある。つまり右往左往するわけだが, その都度人生において反省すれば良いとの現代的な警句は意味をなさない。刀か銃か。その本質的な差異に意味を見出すことが難しいように, 精神は分けられるが, 交わることはない。 (2014.1.29;C)

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

監督:青山真治 / 2005年 / 日本 / 107min

前半, 40分は前奏。あとは殆ど音楽。 伝染病により自殺衝動に駆られる人たちと, 病気ではないが死と折り合いをつけて生きている人たちを描いている。いい意味で, 軽い。 題名の「エリ・エリ…」は”神よ, なぜ私を見捨てたのですか”との意味らしい。生者と死者を関係性から分けることはない。死んでも, 縁のある人は近くにいる。だから死んでも救われない, ということでもあるのか。 死ぬことはふつう, エネルギーがいると思う。死んでも全て解放されるわけではないし, 未知の領域に踏み込むためには, それなりの覚悟や度胸が伴う。だが, この映画の登場人物たちは死のうとする。病気の自殺と本気の自殺と何が違うかとの問いに, 治す気があるかどうかだってさと軽く答えるが, 死という労力を前にすると, 生は重く感じてしまう。 ただそれだけなのだ。死を考えなければ人生は何となくやっていけるはずだ。作中, 人がポンポンと死んでいく模様は同じく生が弾むものであるかのように, 軽い。死は確実にある。それは一番重い瞬間だ。それを過ぎれば, 生きる時間は重くないはずだ, と言ってるかのようだった。 (2014.1.29 ; B)

キャタピラー

若松孝二 / 2010年 / 日本 / 84min

日本のとある村の青年民兵が彼の地で武勲を上げたが, 火事によい四肢切断, 鎮痛薬を与えられて失語症となり村に帰るが, 村では軍神と称えられ, 中国でのレイプと自分が何も出来ない複雑な心境を抱えながら戦時を生きていく, というのが話の大筋。 ただただ暗い。そして救いはない。 主人公は妻の方だろう。心理描写を行なうことが出来るのが民兵ではなく妻だ, ということもあるけれども, 「軍神様」の妻として, そして国のために尽くす婦人としてどう生きるか, 何を思うかが夫と村の状況によって鮮彩に描かれている。もちろん, 民兵の方もレイプと何も出来ない辛さ, そして勲章(金鵄勲章4項?だったと思うが)を与えられたことの誇りとが対比され, 語られない内にも痛みを伴って伝わってくる。家族と村の様子が重層的に二人の関係に合わされば伝説級の映画になったかもしれないが, 二人の関係と戦争をみるだけでも腹にたまる。 個人的には, 「人魚伝説」, あるいは「動くな、死ね、甦れ」以来の衝撃。いや, それ以上かもしれない。あえて言えば最後の音楽に救いがあるような気がする。しかしそれが映画である。 (2014.1.29 ; B)